2012年11月04日(日)
[長年日記]
_ [MJ]マイケル・ジャクソン展に行きました!
マイケル・ジャクソンが実際に着た衣装など100点以上がソラマチで展示される・・と言う情報を知りましたが、最初は京都から東京まで・・と言うのはまさか行けないなぁ・・と思っていました。
でも、この展示会後、マイケルの衣装達はオークションに出展されるため、二度と一堂に会することはない・・・とのこと。ましてや、日本に来ている、こんなチャンスを逃がす手はない、行くしかない!とあっさり決断しました。
10月31日に出発。春ちゃん成ちゃんも一緒ですよ~。
MJ展の入り口にはポスター。ここまでは写真撮影が出来ま すが、中は撮影禁止。残念ですね。
オーディオガイドを600円で借りて中へ。
金のレオタードから始まり、見覚えのある衣装が次々目の前に並んでいて感無量。ThrillerとBeat Itの赤いジャケットがズラリ。肘のシワ、襟の変色、生地のほつれや傷み・・どれもリアルに感じました。
衣装の展示はロープなどで囲ってあるものの、すぐ触れるくらいの距離にあるので、近づいて見るようなそぶりでクンクン、香りを嗅いでみたり。ちょっと分からなかったけど。 衣装から察すると、マイケルは手が長く、脚も長く、細かったです。180㎝、50㎏だとか?
奇抜なデザインの衣装もマイケルだからこそ着こなせる、他の 人だと様にならなくてもマイケルだとカッコイイ。そんな印象でした。
衣装はマイケル・ブッシュ氏とデニス・トンプキンス氏がデザインを担当してきましたが 彼らに任せきりではなくマイケルもこだわりを持ちながら一緒に衣装を作っていたようです。
残念ながら私はこの目で、ライブを見ることはできませんでしたが、数々のコンサートシーンを見た中での見覚えのある衣装が幾つも見ることができたのは本当に感動的でした。
1時間強くらい見て、会場を出ました。もっともっとマイケルの歌声を聞きながら余韻に浸っていたかった。・・・のですが、実は翌日、11月1日は、衣装の入れ替えがあるのです。 後半の展示には、大好きなSmooth Criminalの白いスーツが展示されます。もう、これを見ないと絶対に後悔する!と言うわけで、翌日のチケットも購入し、翌日を楽しみにして会場をあとにしました。
_ 東京観光もチョコっと。
すごいですね、高いです!そして人が多いです!平日だからまぁ、混んでいると言っても大したことはないでしょうと思いながら行きましたが甘かった。受付も、展望台に上がるエレベーターも、展望台内のカフェも、まず行列が基本。 人混みが苦手な私たちが来るところではありません、ヘトヘトになりました。
でも展望台からの眺めはさすがにお見事。ちょっと霞んではいましたが、はるか遠くを眺められるなんてすごいなぁと感動しました。
ヘトヘトになりながら、取り敢えず腰掛けられる所を求めて、パスタのお店でコーヒーだけ注文して次へ(^^;
兄のリクエストで浅草、入山せんべいを買いに。 途中で、スカイツリーの夜景が素敵に見えるところがありました。
入山せんべいのお店は、6時閉店なのですが、ヘロヘロになりながらたどりついたのが 5時45分頃でした。
おみやげに、幾つか購入できました。帰ってからですが兄曰く、「そんな時間にまだ、よう、あったなぁ」だそうです。え~、よかったぁ!あの状態で売り切れだったら泣きます。
で、このおせんべい、丸くてとにかく固い!私は歯がたちません。でも細かく割って食べると、お醤油味で、芳ばしくてとってもおいしいのです。あとをひく感じ。もうちょと歯が丈夫だったらバリバリいきたいところです。
夕食はあれこれお店を探すのは疲れたので、ホテルに戻ってから和食をいただきました。 和食というと、おきまりのメニューかと思いきや、季節をふんだんに取り入れた、手のこんだ、ワザの細かいおいしいお料理でした。ややお上品で若者には量的にちょっとどうかな、と言う感じでしたが、私たちにはちょうどでしたね。
ベッドの上に本日のマイケルのパンフレットなどを並べてご満悦。
_ 東京2日目もマイケル・ジャクソン
朝、6時頃です。ホテルのお部屋からの眺め。スカイツリーも見えています。
11月1日より、MJ展の展示物の入れ替えがあるとのことで、再びMJ展のある、スカイツリー ソラマチへ。
前日の移動は、ひたすら地下鉄を乗り継いで、お安く移動していたのですが、せっかくの旅行なのに地下鉄じゃ、風景が楽しめないし、疲れもたまってきているので これからの移動は楽に景色を楽しみながら・・・を合い言葉に?、タクシー、直通バスを利用しました。
東京駅はリニューアル直後。
ここは約8年前に成ちゃんと一緒に写真を撮った所なので もう一度来たいと思っていたのです。いざ来てみると 駅前の植えこみでひと休みしていたあの頃の風景とは変わってしまっていました。緑がなくなってしまっていました。
さて、東京駅からスカイツリー行きの直通バスに乗って前日に続きふたたびMJ展へ。
お目当てはSmooth Criminalの白いスーツです。 入り口からすぐの所にありました。これが私が何度も何度も、ショートフィルムで見てきたスーツかと思うと感激。 これを着て格好よく、踊ってたのですね。 スーツのシワもズボンのシミも、ワキのあたりの生地のモモケた感じも、マイケルが着たからできたもの・・・。ふぅ・・・。
長い時間、穴が開くほど見つめて、動けませんでした。
前日からは他にも約30点ほどが入れ替わっていたようです。 中にはプライベートに着ていたシャツもありました。 プライベートのシャツでさえ、トレードマークの右腕の腕章が付いていました。この腕章は「恵まれない子ども達を救う!」と言う誓いの印なのだそうです。
あとの予定も考えて、そこそこで、心を残しつつも、満足して会場をあとにしました。
_ 東京の旅・エピローグ
少し早めの昼食なら、ソラマチでもすぐに入れるでしょうと甘い考えでひつまぶしのお店へ。11時半でしたがすでに行列でした。さすがにこの頃には私たちも、「基本行列」に慣れてきていて、大人しく行列に加わりました。 まぁ、ひどく待つこともなく中へ。こちらがまた、おいしかった!「備長ひつまぶし」というお店。おなかいっぱいに。
そして今回の旅行のさらなるお楽しみは、ネットのお友だちに会うこと。
インターネットを始めてまもなく知りました。1998年頃です。 この方の日記を楽しみに見せていただきながら、自分も日記をつけるようになりました。当時はブログなどとは言いませんでした。
ネット上ではいろいろお話しをするお友だちではありましたが、実際にお会いしたことはありませんでした。 いつかはお会いしたいと思っていたのが、やっと実現しました。
大丸5F、ブルディガラ カフェで待ち合わせ。 店内をのぞいて NOBさんが「Mさんや!」ってすぐに気がついてくれました。手を振りながらMさんのテーブルへ近づいて「初めまして~」とは言ったものの、ホント、初めての感じではありませんでした。
少しは緊張しながらまずはケーキを注文し、お話しを始めましたが どんどん話ははずんでいきました。
まずはMJ展の感想とか、東京旅行のこと、それぞれの出身地のこと、食べ物(これが多かったかも)、子どものこと、友達のこと・・・みんなでニコニコしながら 和やかなお話しはくりひろげられ、きりがないのです。
Mさんは今までの印象通りのとてもお話しがしやすくて、こちらが自然体でいられるような人だったのでとても居心地よく、楽しいおしゃべりタイムを過ごせました。
またぜひともお会いしましょうね、と、そのためには健康でいられますように、そしてお金も貯めなくちゃねと、そんな事を約束しました。
心地良い疲れや 満足感いっぱいで帰路につきました。 新幹線からはきれいな富士山。
独特のフォルム。裾野の広がり。あの高さ!改めて偉大さを感じてしばし、見えなくなるまでずーっと見とれていました。
Mさんからのお土産は手作りの可愛いエコバッグ。
とにかくMさんはチクチク上手。なんでも縫っちゃえるヒト。尊敬します。大事に使わせてもらいます。
それと、お菓子~。
ベルアメール。おっしゃれ~な感じ。チョコ菓子が可愛くておいしかったです。ありがとうございました。
と、そんなわけで一泊の短い東京旅行でしたが、とっても楽しかったです。 こうやって行くことが出来て いろんな事に感謝です。
Mさんも言ってくれました。「いろんなとこ、行ってください」って。そうですね。いろんな楽しみをみつけて、いろんな所へ行って、いつも家族4人を感じながら楽しみたいと思います。
2012年11月05日(月)
[長年日記]
_ [はるなる]お十夜
昨日はお十夜で、お寺にお参りしてきました。
春ちゃんが亡くなってから、お寺さんの行事に出向くことが、わが家の年中行事となりました。 春にはお彼岸会、夏には施餓鬼、秋にはお十夜のご案内をお寺さんからいただき、出かけます。
だいたいは、その時によってお招きした僧侶の法話、そして、法要でお経をあげていただきます。
毎回、NOBさんが参加してくれていたのですが 今回、初めて私が参加しました。 今回は、地域の行事とも重なって、お参りされる人はとても少なかったようです。
法話は佐賀県の鏡智院より、中村一之 上人がされました。 一時間のお話しでしたが、退屈することなく(失礼!)興味を持って聞かせていただきました。 命とか、運命とか、感謝とか、そんな言葉が出てくると春ちゃん成ちゃんのことを思い浮かべました。
中でも特に心に残ったのは、浄土宗というのは、あの世で千回のお念仏より、この世で十回のお念仏をあげなさい、そうすれば仏の救済を受けられると言う教えだそうです。 そして、「心煩うな、それは考えることとは別。お念仏をあげれば 心配せずに、いきいきと生きていけるから大丈夫」ということだと理解しました。 日々、同じ時間を過ごしていくのなら、くよくよ思い悩むことに時間を費やすよりは、賢明にいきいきと生き抜いて行きたいものです。
午後一時から始まり、四時過ぎに帰宅。
その後、東京土産を届けに実家に行きました。
_ [はるなる]今度は岡山の友達と会いました
東京に行ったときには、東京のネットの友達と初めてお会いしました。 そして、3日は、岡山からネットの友達のMさんがわが家に来て下さいました。
駅までお迎えに行くと、人影のむこうでチラッと姿が見えたのですが、お互いにすぐにわかったのがなんだかうれしかったです。お会いするのは4回目だと思います。
春ちゃんと成ちゃんのお参りをして下さり、とても素敵なお供えをいただきました。
プリザーブドフラワーのひまわりとピンクのバラはそれぞれ、春ちゃん成ちゃんのイメージだそうです。 ほんとうに、まさしくそんな感じ。 ふんわり、やわらかく、優しくてかわいいお花。 こんなイメージを抱いて下さってうれしかったです。 ふたりが お花に姿を変えたらこんな感じかな。
両側には写真が入れられますね。可愛い写真を探して、入れようと思います。
お仏壇をお参りして下さったあとは、3人であれやこれやとおしゃべりに花が咲きました。 ネットで出会ってからは10数年以上のお付き合いになります。 その間、お互いにいろいろあったりして。 心配なこともあったけど、元気そうなお顔にお目にかかれて(旅のお疲れはあったようですが)うれしかったです。
ネットでの印象はちょっとおっちょこちょいだけど、パワフルでしっかり者という感じですが、お会いすると、落ちついていて物腰の柔らかい感じを受けるかたですね。
お話しをしていると、とても物知りで楽しいです。 あっという間に時間が過ぎました。 まだもっとお話ししたいことはあったけれど、またの機会に。
楽しいひとときをありがとうございました。 春ちゃん成ちゃんも「またきてや~」って言ってたと思います。
重いのにおみやげをいろいろといただきました。 珍しい、ドレッシング。餃子なんかにもいいそうです。 他に大好きな出町ふたばの豆餅(30分並んで買ったそうです)と 花折の鯖寿司。おいしくいただきました。 ごちそうさまでした!
また次もぜひ元気でお会いしましょうね!
2012年11月07日(水)
[長年日記]
_ [成ちゃん]「ご入院用引き出し」
成ちゃんは、小学部の頃から何度も何度も入院しました。 ほとんどは、イレウス(腸閉塞)でした。 お腹の動きが止まり、ガスが出なくなって、お腹が張ってきて、苦しみました。 原因不明で、入院して点滴してもらって、自然に解消して退院できることもあれば、イレウス菅を鼻から腸まで届かして、腸の減圧を施したこともありました。
いつ、起こるか分からないので、バッグに入院グッズを詰めて、いつ入院になっても慌てないように備えていました。
それも、2001年11月にはこれ以上同じ事を繰り返すのは辛いので手術を受けることになりました。 この時にはいろいろなアクシデントがあったものの、以降、イレウスを起こすことは全く無くなり、入院は、胃ろうチューブの入れ替えのための、年に1~2回程度で済むようになりました。
でも、たまーに急な熱やら肺炎やらで慌てて入院となってしまうこともなきにしもあらず。 こんな時には入院バッグが役に立ったのですが、いつもきちんと準備が出来ていないことが多くて、結局、慌てて荷物を詰め直さなければいけないと言うことが多かったのです。
入院と言われてから成ちゃんと夫を病院に残したまま、荷物を取りに家に帰ります。それから、短時間であちこちから必要な物をかき集めて、再び、病院へ・・・。成ちゃんの荷物は本当に細かい物がいっぱい必要で、テープ1つにしてもこれでないとダメ!と言う、こだわりもあるので、とにかく大変なんです。 付き添いの親の荷物もありますから、大変。
そこで、入院期間や状態によって、当初に必要な物も変わってくるので、一式を一目で見渡せるように、子どもタンスの最下段に詰めて、「ご入院用引き出し」を作りました。 ここから 当初に必要な物だけをバッグに移して持っていくようにしました。
・・・しかし、この引き出しが役立つことはありませんでした。
この引き出しは今も、「ご入院用引き出し」のままです。
それぞれの小ものが生々しくそこに納まっています。 もう必要なくなってしまいましたが、片づけてしまうのはまだちょっとね。どのグッズを見てもそれを使っていた状況が甦ってきます。成ちゃんのにおいがしそうです。
先日、東京に行くときには、私のプチ化粧グッズをその引き出しから取り出して持っていきました。 少しずつ、少しずつ、入れ替えるようにしようかなぁ。 私たちの泊まりがけのお出かけ用グッズを入れるように。
それに、そろそろ私たちもお年頃なので、いつ入院とかになるかも分からないので、そんな準備もしておたほうがいいのかも。 夫にそんなことがあれば、私が準備できるけど、私が入院とかなんとかなったら、夫が慌てなくて済むように、一式揃えて置いた方がいいのかもね。 あまり考えたくはないけどね。
それはそうとして・・・やっぱり、まだ手がつけられそうもないです、成ちゃんの「ご入院用引き出し」には・・・。
2012年11月08日(木)
[長年日記]
_ [はるなる]白雪姫プロジェクト
友達のかっこちゃんこと山元加津子さんからお願いのメールが届きました。ぜひ、多 くの方にお知らせいただきたいです。
…*…
山元加津子です。世界中にはものすごく多くの植物状態と言われる方がおられます。 今までは回復の見込みがないと思われていた植物状態と言われる方の多くが、実は想 いがあり、方法によって、回復する可能性があることがわかってきました。そのこと に長く取り組んでこられた筑波大学名誉教授の紙屋克子さんと、私、山元加津子のお 話、そして二人の対談。さらに、2009年2月にとても大きな脳幹出血で倒れ、一生植 物状態で、四肢麻痺と思われた宮ぷーこと、宮田俊也さんが主演の映画「僕のうしろ に道はできる」の日本での初上映などが行われるイベントが、12月8日岡山で開催さ れます。 https://uketsuke.tiki.ne.jp/shirayukihime/
植物状態の回復については、白雪姫プロジェクト http://shirayukihime-project.net/ をご覧ください。この情報が、現在、あるいは未来にも必要な方に届きますように と、「必要な方へ届け!白雪姫ローラー大作戦」を開始したいです。ぜひ、みなさん のお力で多くの方に届きますように、お伝え願います。 山元加津子
_ [ブック]私が読んだ山元加津子さんの本
山元加津子さん:1957年 金沢市生まれ。石川県内の特別支援学校に勤務。 愛に溢れた彼女のメッセージは、著書や講演を通じて全国に広がり、子ども達だけでなく心を閉ざしている大人達の心を開き、奇跡のような出来事が次々起こっている・・・。
講演でお会いしたかっこさんは、とっても物腰が柔らかく物静かで優しい印象でした。 でも印象とは対照的に、抱いておられる想いは熱く強く、こちらの心を揺さぶられます。 ちょっと、天然というか、おっちょこちょいの部分もあって、周りの人は放っておけない愛すべき人物です。
著書はどれも、宝物として大事にそばに置いておきたくなります。
手をつなげば、あたたかい。 宇宙がくれた「優しい力」
サンマーク出版
¥ 1,470
ありがとうの花―魔法のメルマガは朝8時に届く
三五館
¥ 1,155
2012年11月09日(金)
[長年日記]
_ 「みんな気持ちをもっている」
山元加津子さんのこと、そして伝えたい想いとは・・・? 長くなりますが、かっこさんの想いを具体的に、誤解のないよう、そのままお伝えしたいと思います。
◆宮ぷーが、宮ぷーと呼ばれる理由
私、山元加津子は、特別支援学校(以前は養護学校といわれていました)に勤めています。そして、作家もしています。学校で出会った子どもたちのことが大好きで、いろいろな方に知っていただきたくてたまらなくて、本を書いたり、講演会でお話をさせていただいたりしています。そんな私ですが、あまりに方向音痴でおっちょこちょいのために、どこかへ出かけるときに、ちゃんとたどり着けなかったり、何かいつも、忘れたりということが、しょっちゅうです。そのために、県外では、小林さんという方がサポートをしてくださって、県内では、私が前に務めていた学校で一緒だった、宮田俊也さんという方がサポートをしてくださっていました。
宮田さんは、子どもたちに宮ぷーと呼ばれていました。みんなが絵本の『くまのプーさん』が大好きで、そして、宮田先生のことも大好きで、かなちゃんという女の子が、「くまのプー。くまのプー」という歌を同じメロディで「みやたっぷー、みやたっぷー」と歌いだしたことがきっかけで、宮田さんのことを、だれもが宮ぷーと呼ぶようになりました。そして、私もそう呼ぶようになりました。
◆宮ぷーが倒れた
その宮ぷーが、平成21年の2月20日に、脳幹出血で突然倒れたのです。私は脳幹出血という言葉を聞いても、いったいどんな病気か知りませんでした。あとで、本やインターネットで調べると、「脳幹出血の80パーセント、100人おられたとしたら、80人の方が亡くなり、残りの20人のうちの、また80 パーセント、すなわち16人の人が意識がもどらないと書いてありました。なんと100人のうち、意識が回復するのは、統計的にたった4人というとても深刻な病気だったのです。けれども、脳幹の出血の度合いも、少ないものから多い人までさまざまです。けれど、宮ぷーの場合はとてもとても大きな出血でした。当初は、3時間の命、それが過ぎたときは3日の命だというお話でした。宮ぷーに付き添っていられる家族は、赤ちゃんを産んだばかりの妹さん、ただ一人でした。それで、妹さんは昼間、赤ちゃんを連れながら付き添われることになり、私は、学校が終わってから、病院へ通うという毎日が始まりました。
◆「宮ぷーはだいじょうぶです」
夜に集中治療室にいると、お医者さんが来て、声をかけてくださいました。「妹さんに聞かれたと思うけれど、今夜が山です。もし、山を越すことができたとしても、一生植物状態だし、一生体のどこも動きません」と言われました。実は、宮ぷーは驚くほど大きな出血で、非常に重篤な状態でした。ですから、お医者さんが言われたことは、無理のないことだったのです。
けれども、知らないということは本当に怖いものなしだなあと思います。私はなぜかそのとき、「だいじょうぶ。宮ぷーはだいじょうぶだ」という思いがして仕方がなかったのです。それで、「だいじょうぶです」と言いました。お医者さんは不思議そうな顔をされました。そして、そばにいる私のショックを少しでも少なくしようと思われたのでしょう。とてもやさしくゆっくりと私の顔を覗き込んで「僕の言っていることがわかる?」と言われました。私は逆に、こんなにも心配してくださっているお医者さんを安心させたくて「はい、わかります。先生、だいじょうぶ。だいじょうぶですから先生安心して」と言いました。そんな状態ですから、お医者さんは次の日に、妹さんに「一緒にいた女の人はショックで頭がおかしくなっていたようでした」と私を心配して言ってくださったほどでした。
◆宮ぷーの大変な状態
けれども、宮ぷーは決してだいじょうぶなんかではありませんでした。脳幹という場所は、人の生きるということを司る場所なのですね。宮ぷーの瞳孔は開きっぱなしで、舌が口から出て中へ入りませんでした。息もしていなくて、人工呼吸器がつけられていました。
私はそれまで、熱ければ人はだれでも汗をかくのだと思い込んでいました。けれど、宮ぷーは汗をかくこともできずに、体温がどんどん上がっていきました。私は体に水分を入れれば、たとえ、オムツの中であってもおしっこは出るのだと思っていました。けれど、おしっこも出なかったのです。なぜなら、宮ぷーの内臓はどこも機能していなかったのです。けれど、お医者さん、看護師さん、介護士さんといったみなさんが、本当に心を尽くしてくださって、宮ぷーは生きることができました。
私は宮ぷーのそばにいて、いったいどうしたらいいかわからず、たくさんついた管の間から手を通して、「生きて生きて」と言い続けました。そして、息をするごとに祈り続けました。そして、宮ぷーのために、たくさんの方が祈り続けてくださいました。私は特別な宗教を信じているわけではありません。けれど、神様は必ずいて、私たちを守っていてくださるんだということを、宮ぷーが倒れてからいっそう思うようになりました。
◆宮ぷーが目を開けた
8日目に宮ぷーの目が開きました。私はうれしくて、お医者さんや看護師さんに「目が開いた、目が開いた」とお話をしました。けれども、宮ぷーの脳のCTは、例のないほど大きな出血であることを示していました。そして宮ぷーは、ときどき反射でどこかが動くことはあっても、声をかけても、ゆすっても、体のどこも動かせず、眼球すら、動かすことができないままでした。
お医者さんは本当にやさしい方でしたので、またゆっくり言葉を選ばれるようにして「残念ながら、なぜか、植物状態の人は、昼間目を開けて、夜は目を閉じるのですよ」とおっしゃいました。それでも私は、自分があのとき、だいじょうぶだと思ったからだいじょうぶなのだという、何の根拠もないことなのに、そう思い続けていました。
宮ぷーはいつか意識を取り戻すのだから、そのときに、意識のない間のことを知りたいに違いないからと、毎日日記を書き続けました。そして、宮ぷーの開いた目に私の姿を映しこんで、日記を読み続けました。そのとき、また私の思い込みだったのかもしれないのだけれど、私が話しかけると、眼球も動いてないけれど、確かに、目の光の様子が違うと思いました。宮ぷーは目の玉も動かないけれど、何もかもわかっているのだと感じました。
◆宮ぷーの思いを知りたい
私はずっと特別支援学校に勤めています。そこで、子どもたちといて思い続けてきたことは、子供たちがたとえどんなに重い障害を持っていたとしても、だれもが気持ちを持っていてそれを伝えようとしているということでした。そして、子どもたちの気持ちを知りたいと思いながら、毎日を過ごしてきたように思うのです。
宮ぷーの目の光が、話しかけると確かに違うと思い込んだ私は、思いを伝えられずにいる宮ぷーの思いをなんとしても知りたい、お互いに気持ちが伝え合えるようになりたいと思いました。どこか、宮ぷーが気持ちを伝えてくれるところはないか? 私の問いかけに、返事をしてくれるところはないかとずっと探し続けました。指でもいい、瞬きでもいい、頬の動きでもいい、どこでも、一箇所でも自分で動かすことができたら、そこに私は、「"はい"だったら、動かして」と話をすることができると思ったのです。けれど、それは、なかなか難しいことでした。けれど、宮ぷーが頑張り続けてくれたことがよかったのでしょうか? 思いを知りたいとあきらめずにいられたことがよかったのでしょうか? 宮ぷーが、最初は小さなまばたきで、そして、頭が動くようになり、指が動くようになって、気持ちを伝えてくれるようになりました。
◆「僕の毎日を知ってほしい」という宮ぷーの思い
私は職業柄、意思伝達装置というものがあることを知っていました。意思伝達装置というのは、体の一部が動けば、そこでスイッチを押すことで、「あかさたな……」と順に読み上げる装置とつなぐことで、思いを文章化できる装置のことです。
宮ぷーは、頭のスイッチと、意思伝達装置のひとつである「レッツチャット」という機械をつなぐことで、9カ月ぶりに、思いを伝えることができるようになったのです。気持ちを伝えられるようになった宮ぷーは、「僕の思いをたくさんの人に知ってほしい。それは僕の生きる証だから」と言いました。私の書く日記を多くの人に読んでもらいたいと言うのです。
最初は宮ぷーが、きっと意識のない間のことを知りたいだろうと思って書き続けた日記ですが、私も、宮ぷーが一生懸命、命をかけて生きている様子に、胸を打たれたり、大切なことに気がつける毎日だったので、私のブログ「いちじくりん」で、多くの方に読んでいただくにはどうしたらいいだろうと相談しました。星野ひとつさんという方が、「それでは、日記をメルマガにして登録してくださった方に読んでもらいましょう」と提案してくださいました。
◆「宮ぷーこころの架橋ぷろじぇくと」が始まる。
それがメルマガ「宮ぷーこころの架橋ぷろじぇくと」です。毎日配信させていただく日記に、多くの方が感想や、思いをメールで返してくださいます。そして宮ぷーの枕元で、いただいたメールを読みます。宮ぷーにとってはなんと大きな励ましをいただいていることでしょう。
けれど、不思議なことが起きてきました。いただくメールはどれも「配信ありがとうございます。宮ぷーに励まされて毎日があります」とか「宮ぷーが病気になってくれたおかげで大切なことに気がつけました」というふうに書いてくださってあるのです。そして、いただいたメールを時々載せさせていただくと、また多くの方が、その方を励まされたり、一緒に考えたり、泣いたり笑ったり、喜んだり、まるでみんなでひとつの命を生きているというような感じさえしてくるのです。
◆意思を伝達する方法を世界中の人が当たり前に知っているように
宮ぷーが自分の毎日を知ってほしいと願ったことから、宮ぷーの映画を岩崎靖子さんが撮ってくださるようになりました。岩崎さんは、「宇宙の約束」という映画の監督さんでもあります。(私や学校の子どもたちを撮ってくださいました)
宮ぷーの回復の様子は予告編としてつくってくださって、ユーチューブにも載せてくださいました。意識を回復し、レッツチャットで気持ちを伝えている様子はとても感動的です。私も講演会で呼んでいただくたびに、宮ぷーの予告編を流させていただいています。そのときに、どこの会場へ行っても必ず、何人かの方が「うちにも気持ちを伝えられないでいる家族がいます。何か方法はありますか?」と尋ねてこられるのです。
ター坊のお兄さんが「弟(ター坊)は9年間気持ちを伝えられずにいます」とおっしゃいました。あるおばあちゃんは「主人が20年以上前に倒れて、奇跡を起こそう、奇跡を起こそうといい続けてきたけれど、いまだにお話ができないです」と言われました。お尋ねすると、おふたりとも、手も動くし、まぶたも動くとおっしゃるのです。
私はどうして、こんなことがあるのだろうかと思って涙が止まりませんでした。なぜ、そんなにも長い間、気持ちが伝えられずにいなくてはならなかったのだろう? なぜ、意思を伝達する方法はいーっぱいあるのに、知らないままにおられたのだろう。思いを伝え合えないということは、本人にもそばにいる人にとっても、どんなにつらいことでしょう。 いろいろ調べて、いろんなことがわかってきました。そのひとつに、意識があるということすら、気がついてもらえずにおられるだろうという方もたくさんいることがわかりました。そして、さらに調べてわかったことがあります。
意思伝達装置や意思伝達の方法は、あまりにも知られていないのです。医療の関係の方も、福祉の関係の方もそして、一般の方にも、ほんのひとにぎりの方にしか、その方法は知られていないということがわかりました。
レッツチャットのような意思伝達装置には、審査をしてもらって使えるとわかったら、国の補助がおります。たとえ、装置のあることを何かで見て知っておられても、すごく高いもので、とても手の届かないものだと思っておられる方もおられます。いったいどうしたらいいのだろうと思いました。そして、思ったのは、「知っている人が伝えないといけないのだ」ということでした。そして、知っているのは、私と、そして宮ぷー。そして、こちらを読んでくださっているみなさんです。
病院へ行くと、宮ぷーが「おかえり まってたよ」とレッツチャットで言ってくれます。「きをつけてかえってね」と帰るときには言ってくれます。だれもがそんな温かい気持ちの交流をしたいと思うのです。
20年以上奇跡を信じておじいちゃんのそばにいるおばあちゃんだって、きっとおじいちゃんに言ってもらいたいだろうし、おじいちゃんだって、きっと言いたいに違いない。そう思うと、私はいても立ってもいられなくなります。そして、涙がいっぱい出ます。ぜったいに、多くの人に知っていただくんだって、すごく勇気が湧いてくるのです。
◆レッツチャットについて
平成22年4月のはじめ、パナソニックグループ内のファンコムという会社で製造、販売されていたレッツチャットという意志伝達装置は「生産停止になって、販売は在庫のみになります」とレッツチャットのホームページに記載されていて、とても驚きました。もし宮ぷーにレッツチャットがなかったら、そんなことを思いたくもないほど、宮ぷーにとってレッツチャットは命をつなぐものです。レッツチャットの開発者である松尾さんは、お父様がALSという難病で、少しずつ体の自由がうばわれていかれる中、気持ちを伝え合うことの大切さ、それは生きるということだと思われて、お父様が亡くなられた後にレッツチャットを作られたのです。生産停止の理由ははっきりはわかりませんでしたが、もし、もっとたくさんの方が意思伝達装置を知っていたら、需要はもっと増えたはずで、必要としている人はまだまだいっぱいいます。いっぱいいるけど、誰も知らないのです。もっと多くの方が知っていたら、こんなふうにはならなかったのではないかと私は思いました。他の意思伝達装置も素晴らしい点はいっぱいあります。けれど、レッツチャットもまた、他のものでは替えられない素晴らしい点がいっぱいあるのです。パソコンは立ち上げるまでに時間がかかります。レッツチャットはその場ですぐに立ち上がり、フリーズもしないし、持ち歩くこともできます。他の装置にもその装置でなければならないことがあるように、レッツチャットにもまた、どうしてもレッツチャットでなければならないところがいっぱいあるのです。
ひまわりのたねの森あかねちゃんは、わたしがそのことで思い悩んでいることを聞いて、勇気を出して、いろんなところにいっぱい電話をしてくださいました。それを知ったわたしはいてもたってもいられずに4月7日のブログで、「ファンコムさんへレッツチャット製造継続のための応援メールを至急お願いします」と皆様への呼びかけをさせていただきました。すでに多くの方がファンコムさんや、パナソニックさんへ同様の御願いメールを送られていたそうですが、後で聞くところによると、とっても多くの方々が製造中止となっては大変なんです、という切実な気持ちを伝えてくださったそうで、その結果、パナソニックさんの「生産続行」という、企業にとってはとても難しい決定をしていただくことができました。でも、だからといって、製品の売れ行き不振が解消されたわけではありません。そんなふうに思うと、この先いつまでも製造が続くという保証はないのではないかと不安になるのです。一方で、今もその存在を知らないで、知らないために気持ちを伝えられないという方がたくさんおられます。おそらくは、レッツチャットだけではなくて、意思伝達装置などが、大切な装置であるにも関わらず、多くの方に知られないために、不況の今、各企業の意思伝達装置全般が、大きな打撃を受けているのではないかと思われるます。私は、レッツチャットの他にも、様々な特徴を持つすばらしい意思伝達装置や意思伝達手段があることもできるだけ多くの方に知っていただき、そして、それらのことが世の中の常識となるまで広めることがみやぷーとわたしの大切な仕事ではないかと考えています。
今、多くの方に知っていただけるようにと思って、下のようなことをしています。
★「おはなしだいすき」のホームページで、イラストを使ってお話するための、おはなしノートの無料ダウンロードができるページの製作、あいうえおの透明表(これは視線などを使ってお話をします)の無料ダウンロード、そして、レッツチャットなどの意思伝達装置のいろいろな情報を、発信する。
★宮ぷー日記「宮ぷーこころの架橋ぷろじぇくと」を読んでくださる方の数がもっともっと多くなればいいなと思って、みなさんでみやかつ・宮活(就職活動ならぬ宮ぷー活動)をしています。たくさんの方に知っていただくことで、何か大きな力で、お互いを支えあったり、大切なことって何かなあって一緒に考えたり、意思伝達装置のことを伝え合ったり、そして、もちろん宮ぷーのことを、多くの方で応援できるから。
どうぞみなさん、宜しくお願いします。
そのほかにも、宮ぷーの毎日のレッツチャットでのつぶやきを、ブログにして発信しています。
以上がかっこさんからのメッセージでした。
毎日のかっこさんの言葉、宮ぷーさんの様子はぜひ、無料メルマガ「宮ぷーこころの架橋ぷろじぇくと」でご覧になって下さい。
2012年11月13日(火)
[長年日記]
_ [はるなる]写真を決めました
先日、岡山のMさんにいただいた額に入れる写真を選びました。
とにかく、よく笑っている春ちゃんと成ちゃん。
成ちゃんは2歳くらいかな。 同じ方向ばかりにコロコロと寝返りしていくのが楽しかった時期。 転がってテーブルの下に入り込んだ成ちゃん。 「成ちゃん、どこいったんかな~?」って言いながらテーブルの下をのぞき込んだら、ニンマリな成ちゃん。
「えへへ~、ここにいてん」って感じでしょうか。 可愛くていたずらっぽい成ちゃんの笑顔。
春ちゃんは中学部一年。 学校で先生がギターを弾いてくれました。 それが楽しくて仕方ない様子。 おもいっきり笑ってます。 ギターだけでそんなに笑えるなんて・・・。 漫談でもしてもらってたんでしょうか(^^)
2012年11月14日(水)
[長年日記]
_ [MJ][ブック]マイケル・ジャクソン展終わりました
・・・それにしても、行けて良かった。 しかも、前半と後半の、衣装が30点ほど入れ替わるタイミングで行けたから、両方見ることができたし。
そのMJ展は11月12日に終了しました。 サンチャゴ、ダブリン、ロンドン、パリ、ロサンゼルスで開催され、最終地が日本でした。世界でわずかな開催地の中に日本が入っていたから、貴重な衣装達を私のこの目でも見ることができたのです。日本はマイケルのごひいきだったから、最後に選ばれたのかな。
実際にマイケルが身につけてたたくさんの衣装を本当に触れるくらいの近くで見ることができたなんて、いまだに興奮しています。
帰ってからDVDなどを見直して、「あこれ、見た!あった!」とまたもや盛り上がっています。
今月末から、この衣装達はオークションにかけられて、出展者である、MJの専属デザイナー、マイケル・ブッシュ氏の元から離れて行きます。(残念ながら、もう1人のデザイナー、デニス・トンプキンス氏は昨年に亡くなっています。) このような100点以上の衣装達の展示はもう二度と見ることはできないでしょうね。 そう言う意味でも貴重な経験となりました。 今後衣装達はどんなところへお嫁入りするのでしょうか・・・。
感無量です。
東京から帰ったら、6月27日に予約していた本が届いていました。
The King of Style: Dressing Michael Jackson
Insight Editions
¥ 2,842
この本の著者マイケル・ブッシュ氏は来日し、MJ展の初日から数日間、握手会が行われていました。 そこで購入できたらサイン入りの本を手に出来たのですが、ま、そこまで贅沢は言いません。
MJの衣装を盛りだくさん集めたこの本、本当に素敵です。 凝りに凝った衣装、何度も目にしたことのある衣装は芸術作品で、この本は本当に美しい写真集です。 ただ、英語本なので私の語学力ではムリ。 日本語版も準備中なのだとか・・・。気になります。
2012年11月15日(木)
[長年日記]
_ ご無沙汰してました
昨日は、私たちが結婚するときにお世話になったお仲人ご夫妻に久方ぶりに会いに出かけてきました。少し前からグループホームに入られていると聞いてはいたのですが、成ちゃんのこともあり、一段落するまでなかなか出向くとができなかったのです。
まずは、ご夫妻のお好きな、嵯峨の「植坂製菓」さんのおせんべいの調達に。
空豆、ピーナッツ、えんどうまめ、の三種がありまして、それぞれ一袋ずつ買いました。 こちらのお店は住宅街の中のとても入り組んだ所にあって、お店と言うよりは小さな工場というか、作業場というか、そんな所です。 それも、いきなり行っても在庫がなくて、あらかじめ前日までに電話予約しないと手に入らないのです。 今回は前日に電話予約して伺いました。
おせんべいを持って、仲人さんのおられるグループホームへ。 すぐに面会できたのですが、ご主人様はあまり体調が良くないようで、他の施設へ移られたため、お会いできたのは奥様だけでした。 でも、奥様はとてもお元気そうで、お顔色もよく、たくさんお話しして下さいました。 お好きな京せんべいも喜んでいただけてよかったです。 とても物知りな方で、ご近所周りのことから、グルメ、お出かけ情報(三十三番巡り(^^))などいろいろ教えていただきました。 たくさんおしゃべりしてくださったので、日頃、ちょっとおしゃべりしたりないのかも・・。 またお伺いしますと言って失礼してきました。 とてもご無沙汰してしまって、もっと早くにお伺いするべきでした。 とにかく、お元気そうでひと安心しました。
2012年11月17日(土)
[長年日記]
_ 昨日の天王山は・・・
昨日の朝の様子です。
雲が降りてきているというか、ちょっと珍しい光景でした。
今日はと言うと、朝から雨降り。そして午後はどしゃぶり。 買い物に出かける気もしない、洗濯ものも乾かない・・・。
しかたないな。 こんな日は温かいココアでも飲みましょう。
今、気に入っているのは守山乳業のココア。アイスでもホットでもおいしいのです。手軽に飲めて便利だし。
守山乳業と言えば、「冨士純良バター」が大好きでした。 今はリニューアルして、「冨士 チャーニング製法バター 」となりました。
ちょっとお高いですが相変わらずおいしいです。
2012年11月18日(日)
[長年日記]
_ お買い物と面会と
用事でちょっと光明寺さんの前を通ると、観光バスがたくさん来ていて、人もいっぱい!光明寺さんは日頃はとても閑静でとても落ちつく大きなお寺さんですが、この時期はすごい人ですね。 ちょっと立ち寄りたい気もしましたが、また平日にしましょう。
来週は親戚の法事もあり、そのためのお買い物をして、その後、母が3泊4日でショートステイに行っているので面会に行きました。 鶴屋吉信さんの、お一人様サイズの可愛い柚餅を買って行きました。ちょうど母はおやつタイムが終わったところだったので、持っていった柚餅はひとつぶだけ食べてくれました。 母は顔色もよく調子はよさそうでホッとしました。 いろいろ楽しそうにおしゃべりもしてくれました。 でも、夜が長くて退屈なようです。 手芸とか、本を読むとか、できたら良いんですが、なかなか体を動かすことが難しいので、寝てラジオを聞くくらいしかできないようです。 それなら、それで、他の入所されてる方と、やかましいくらいにおしゃべりできたらいいのになぁとか思います。 いろいろ考えて提案してみたりするんですが、どうなんでしょうか。
夜には友達から、来週、嵐山に紅葉を見にいかない?とお誘いがありました。 なんだろ・・・。最近は嵐山づいているなー。再来週には嵐山の手前、松尾に行く予定も入っています。 私が嵐山に売っているバッグに未練をのこしているからかなぁ?買うしかないのかなぁ(^^;
2012年11月19日(月)
[長年日記]
_ [はるなる]スイッチが入ります(T_T)
銀行に行ったり、スーパーに行ったりしました。 車の中では大きめのボリュームでMJのHeal The Worldを聴きながら、外はきれいな紅葉を感じていい気分で車を走らせました。
でも・・・
スーパーの中はクリスマスやらお正月やらの準備でとても華やいでいて、ふと、クリスマスツリーはどうしようかなと考えました。 大人二人だけで、ツリーを飾ってもなぁ・・・と最初は思ったのですが、それではお空から見ているハルナルちゃんはきっと寂しがるだろうから、やっぱりツリーは飾ろうと思いました。 ツリーを見て、可愛いオーナメントを見ては「こんなん飾ったら喜ぶかな」とか、そこから想いは広がって、子供服売り場を見ては、いつも可愛くて着せやすいのはないかなぁ、とアンテナを張っていたなとか、髪飾りを見ては似合いそうなのを選んだり・・・。
またハルナルちゃんのもの、買いたいなぁと思ってしまいました。それから急に寂しい想いにふけってしまい泣きそう・・。
そんな想いのまま、食品売り場に行けば、養護学校で一緒で通所施設もいっしょだったおかあさんにバッタリ。 顔を合わせただけで、お互いに涙目になってしまったからもうあかん! 「おかあさん、寂しくなったね、元気出してね」と優しい言葉をかけていただきました。「大丈夫。元気にしてますから。時々スイッチが入ってしまって・・・」と答えながら、涙が出てしかたありませんでした。
思えば、最近は出かけるときはNOBさんと一緒が多かった。だから気が紛れていたのかもしれません。知り合いとバッタリ出会っても、平静でいられていました。
一人というのはいろいろ余計なことも考えてしまうようです。 自分の中にこもってしまいがちなのかも。
まだ4ヵ月ですから・・・。 涙が出てもおかしいことではないでしょう? 親ですから。
でも、大丈夫です。 ハルナルちゃんへの想いを大事に胸に抱きながら、しっかり踏ん張っていきますから。
2012年11月20日(火)
[長年日記]
_ 紅葉狩り
「私が寂しい思いはさせへんから(*^_^*)」 ・・・な~んて嬉しいような、笑うような「セリフ」を言ってくれたのは幼なじみの友達。 成ちゃんのお参りに来てくれたときに、私が「寂しくなったわ」とこぼしたら、言ってくれた言葉。
その後、ランチに誘ってくれて、今度は「嵐山に紅葉を見にいこう」と誘ってくれました。
曇ったり晴れたりの一日で、快晴とはいかなかったのですが、それはそれで風情のある風景でした。紅葉はちょうど見頃かな。 さすがに人は多くて渡月橋は歩くのがたいへん。
でも、そんなことよりもやっぱり美しくて、ふたりで「きれいやなぁ!」を連発。
嵐山というといつもお決まりのコースを歩いてしまうので、今日は歩いたことのない大堰川沿いを歩いてみました。 遊覧船乗り場があってそこを覗いていると、舟に乗ろうとされていた4人のおばさま達が、「ご一緒にどうですか?6人だと割安になるのだけど」と声をかけてこられたので、舟もいいな!と即決で乗りました。
いつもの道からみる風景とはまたひと味違って、山を見上げる角度が少しづつ変わるにつれて 紅葉の見え方も変わって、とても素敵でした。 木々の種類によっても色が違うし、光の当たり方によっても違うし。水鳥たちも飛び交っていて、楽しそう。
皆、言葉を失って、水の音だけがよけいに静けさを引き立てて、心地良い空気に酔いしれました。 「景色見てるだけで、きれいすぎてお腹いっぱいになる感じやね」と言うと友達は「それはないわ」と・・。ま、そやけどね。
そんなわけでお昼ご飯。 おそばの「よしむら」さんは2階席から渡月橋の風景を眺めながらお食事出来るというので、前日に予約したのですが、残念ながら満席。 ま、適当な所を探して入りましょ・・とブラブラしてみたのですが、どこもかしこも行列。 ま、おしゃべりしているうちにすぐ入れるでしょう、と言うことで湯葉と豆腐のお店、「嵯峨豆腐 稲」さんに。 順番を待っている間に、お向かいのお店、京都の和菓子「老松」さんで、あんこ好きのNOBさんにおみやげを買いました。 そんなことをしていると、あっというまに名前を呼ばれて、お昼ご飯となりました。
食べるのもおしゃべりも忙しくて。
ゆっくりお食事したあと、もう一歩き。
嵯峨の竹林を通り抜け、大河内山荘の前を左へ折れると亀山公園。こちら方面は初めてでした。 公園の高台からは先ほど遊覧船で楽しんだ付近から上流の保津川が臨めてとても美しかった。 昨日の雨で川の水が少し濁っていたのですが、茶色に濁っていたのではなくて、例えると翡翠色に近くて これもまた素敵でした。
またまたおしゃべりは続きながら、前に目を付けていた、嵐山ちりめん館のバッグを見に入りました。
この、オレンジ色のがいいなと思ってるんですが。 また見るだけ見て、欲しいなぁと言いながら、そのお店を出て行きました。
ここらでちょっとひとやすみ。eX cafe(イクスカフェ)京都嵐山本店に入りました。
京黒丸ロールを食べたかったのですが、まだお腹はいっぱいなのでお茶だけ。私は白玉・あずき抹茶オーレ。友達は抹茶ラテ。 抹茶ラテのカップがきれいだったなぁ。 お味はちょっと甘めでございました。
けっこう、しっぽり、一日嵐山で過ごしたのですが、楽しかったなぁ。紅葉を眺めては「きれい!」を連発しながらも、おしゃべりもとめどなく。
NOBさんへのおみやげは老松さんの最中。しっとりぎみの皮で上顎にくっつくこともなく。
老松さんの包装紙がきれい。 和菓子屋さんの包装紙って、よく見るとおしゃれだったりするんですよね。
と言うわけで、友達のおかげで楽しい一日となりました。 いろいろ心配してくれていたみたいで、ほんと、感謝です。 NOBさんは「良い友達を持ったなぁ」と言ってくれました。 ほんとですね、ありがとうの気持ちでいっぱいです。
2012年11月21日(水)
[長年日記]
2012年11月23日(金)
[長年日記]
_ 甘いもん食べに中村軒へ
今朝は7時からみんなでお墓掃除とお参りの予定だったのですがお天気が悪くて中止。 時間ができたので、ちょっと甘いもんを食べに・・・と言うことで桂離宮前の中村軒さんへ。 いつもは和菓子を買って帰るだけでしたが今日は茶店でいただいてみることにしました。
注文したのは栗ぜんざい。季節限定です。 栗がホクホク、白いお餅と粟餅とを入れてもらいました。(お餅は選べます)口の中がちょっと甘くなってきたら、塩昆布で口直し。 裏切らないおいしさでした。
店頭ではたくさんの和菓子が。素通りはできません。 紫蘇のおはぎと、銀杏餅を買って帰りました。
帰りにちょっと向日神社に寄り道。 春ちゃんが小学部の時に、境内の天文館のプラネタリウムを見るということで送ってきたことがありました。 ゆっくり境内を見るのは初めてでした。
誰もが紅葉とか、春には桜とか、きれいなものに惹かれるのはなぜなんでしょう?と考えました。 あたりまえのようなことなんだけど。 でも、お金を払ってまでも見たい!と言う気持ちはどこから? 人は潜在的に、花が咲き乱れるような極楽浄土を知っているから、それに憧れるのかな?と、ふと思いました。 この世は修業の場ですからね(^^;
買って帰った銀杏餅。 銀杏はそぼくなまま3粒ほど入っていて、こし餡との味のハーモニーというのでしょうか、絶妙でした。珍しいお餅でした。
2012年11月24日(土)
[長年日記]
_ お墓参り
昨日はお天気が悪くて中止となったお墓掃除とお参りですが、今朝はやや曇りがちではありましたが、朝7時に集合し、無事に済みました。
お墓のあちこちに、お花の筒が散乱したり、土が掘り返されたりしていて、どうやら、イノシシの仕業のようです。 こわ! 遭遇しないようにと願います。
お墓参りをすると、厳かな、すがすがしい気持ちになります。
その後は、すみやかに帰宅し、まだとってなかった朝食を済ませ、歯医者さん。ちなみに最近はパストラミサンドにはまる旦那さん。映画かドラマで見るような、大量のパストラミをサンドして食べてはります。
歯医者さんはようやく終盤を迎えました。 あと1回で終わるかなー。ちょっと違和感があるからそれがすっきり、バッチリ、フィットしてほしいなー。
明日は、旦那さんのお母さんの25回忌の法事に行きます。
2012年11月29日(木)
[長年日記]
_ 最近のことなど
25日は法事で、旦那さんの実家のお手伝い。
27日はいつももらってる漢方薬をもらいに病院へ。 バッタリと友達に会った。ガイヘルだそうで。ちょっとお話しした。がんばってるなーと思った。
待ち時間に読もうと「暮らしの手帖」を買った。
この本はいつも好きだなぁと思う。 おしゃれな暮らしはもういいかなと思う。それより、きちんと暮らすと自ずとおしゃれな暮らしが付いてくるのかも。 この本の落ち着いた感じが好き。
お昼になったので旦那さんとフルールでランチ。
私は「フルールランチ」。時々ガッツリした感じが食べたくなる。アツアツ、ジューシーなのがとってもおいしい。
旦那さんは牡蠣フライランチ。ここのはいつも良い線いってるらしい。私は牡蠣を食べると具合が悪くなるので食べられない。
久しぶりにおいしいフルールランチでとっても満足(^^)
_ [はるなる]がんばってお片付け
成ちゃんの医療的グッズなどをしまっていたキャビネット。まだ一年くらいしか使ってないかな。 中身を少しづつ整理して、今日はやっと中をカラッポにして新たな使い道としてスタートです。
そして、こちらは春ちゃんの出産お祝いとしていただいた籐のチェスト。なので、もう26年ものになります。 汚れもついたし、虫も付いたし、傷みも出てきたので、そろそろお暇をあげることにしました。
いただいたときは、オムツとか、赤ちゃんの肌着とか、ベビーオイルとか綿棒とか、お肌のケアのグッズなどをしまっていました。 懐かしいなぁ。お家も1回、引っ越してきました。 年月と、置き場所によって、入れる中身も少しずつ変わってきました。
長いこと、お疲れ様。子ども達とともに、お世話になりましたね、ありがとう。
2012年11月30日(金)
[長年日記]
_ 松尾のとりよねさんへ
岡山の友達が京都へ。 普段はまずお会いすることはないのですが、実は今月お会いするのはなんと2回目。ひと月の間に2回もお会いできるなんてね。 そこで、今回は松尾大社のお隣の鶏料理のお店、とりよねさんにお誘いいたしました。
庭が見えるお席をお願いしておきました。 お隣の松尾大社の鳥居が見える、個室でテーブルのお席でした。
まずは、鶏のスープから。濃厚なようであっさり。鶏の臭みは全くなく、甘みがよく出ておいしかった~。 水炊きは とにかく鶏肉が柔らかくてかむときに鶏肉が歯を押し返してこないほど スッとかみ切れます。 鶏の旨味がよく感じられました。 締めは雑炊で。鶏とお野菜の旨味がよく出ていて温かくて、ほっこりしました。
私がここを選んだワケがこれ。 1987年、バッドツアーの時に、本人は混乱の心配が有るためにこられませんでしたが、キャサリンさん(お母さん)、ジョセフさんお父さん)、ラトーヤさん(お姉さん)が来店されたのだそうで、その時のサインが飾ってありました。 そしてマイケルさんにはとりよねさんから 鶏スープをお送りしたら気に入って、お礼にとサイン入りのポスターを送って下さったのだとか。
これだけを見に来られるお客様もおられるとお店の方が仰ってました。
こちらのお店、材料は地元の物で、お豆腐も森嘉さんのだそうで、ほんとにおいしく食べさせていただきました。
お話しも尽きず、もっとお話ししていたかったなぁ。 楽しかったです、ありがとうございました。
ちなみに今日は成ちゃんの月命日でもあり、私たちの結婚記念日でもあり。 良い1日となりました。
_ おみやは松樂さんのおはぎ
松尾大社の大鳥居を正面に見て左へ30mほど行った所に松樂さんがあります。 ここのおはぎがまたおいしい! 中身はよもぎご飯と栗がゴロンと入っていて 種類はなんと12種類も! 今日選んだのは私イチオシの紫蘇。それからカボチャとエンドウ豆にしました。 人気なので売り切れてしまうことが多く予約しておきました。 帰ってから食べたらやっぱり、紫蘇の香りが爽やかで よもぎご飯もまた香りがよいし、食べ終わるのが惜しい! 全種類制覇したいですねー。
♪ みき♪ [おみさん、おはようございます。 先日は本当に楽しいひとときでした。お会いできて嬉しかったデス♪ MJ展、やっぱり10..]
♪ まりんば [素敵な旅行ですね♪ お母さんの熱いMJファンとってもわかりました! 色んな趣味を楽しんでくださいね(´ー`)]
♪ おみ [みき♪さん、こちらこそ、お初にお目にかかれてうれしかったです。長々、うだうだした日記を読んでくださってありがとござい..]