へんこつ日誌

Oral_Top_Anchor
トップ «前の日記(2001年11月29日(木)) 最新 次の日記(2001年12月01日(土))»
RSS feed


ここから本文

2001年11月30日(金)結婚記念日 [長年日記]

§1 おみさんと交代して

夕方からナルちゃんに付いた。5時頃おみさんは帰っていった。

ナルちゃんは2,3日前からブドウ糖の注入を胃ろうからしている。一日量は200ccだが、時間量30ccなので7時間近くかかる。ほぼ一日中注入している感じだ。術後痰が少し絡んでいるので、その間時々コンコンと咳き込む。そのたびにヒヤヒヤするのだが、そのうち何回かはおう吐してしまう。

毎日こんな事の繰り返しだ。おう吐する度看護婦さんにおう吐したと報告する。着替えさせてもらったり。シーツを替えてもらったり大変だ、一番しんどいのはナルちゃんだし。ほんとうにちゃんと注入したブドウ糖が栄養になっているのだろうか。

どれくらいおう吐しているのか気になって、看護婦さんに、時々おう吐するからトレーをくれと言って、ベッド脇に置いてもらった。ナルちゃんが痰で咳き込んでおう吐したときにトレーで受けてみた。トレーを含めて100gもある。トレーを差し引くと75gだ。これが多いときには1日で3回ほどあるわけだ。

折りもおり、明日から日頃使っている流動食を使い始めましょうと外科医から指示があり看護婦さんが家から持参した流動食を預かると行ってきた。一応預けてはみたものの、おう吐している量が気になり、トレーに受けてみたがこの分だと日頃の注入が全く栄養になっていないのではないかと、先ほどのおう吐物を見せて疑問を投げかけてみた。外科医に相談するとの返事。

しばらくして、外科医が来てくれて、おう吐したものを見てくれた。これは胃に入った内容物で、それより下流ではないと思われるから安心してくれと言うことだった。

ボクの言っているのはそう言うことではない。7時間ほどかけてダラダラ注入するのはかえってナルちゃんのおう吐を招き、全く栄養になっていないのではないかと思うと言った。日頃のナルちゃんの様子から、もう少し短い時間で区切って、少量注入しては休ませて、流下を確認してから、また少量注入してみてくれないかと提案してみた。

それが聞き入れられて、明日から少し注入の方法が変わることになった。

ここで少し疑問が出てきた。注入を始めた頃から、医師の吸引によるおう吐や、自分で咳き込んでのおう吐があり、そのたびに看護婦さんに連絡しているが、おう吐の量を全く気にしてないと言うことだ。おう吐しましたと言っても、どれくらい出しましたかとは聞かれなかった。

点滴は厳密に管理されているし、尿や便、また胃ろうや腸ろうやドレナージも同様に厳密に管理され、総注入量と、総排出量を比較して、点滴の量を調整しているのである。

それに対して、胃ろうからの注入の管理があまりにもずさんだった。どれくらい注入してどれくらい戻したかはたぶんどこにも記録がないだろう。総量の比較も出来ていないだろう。こんな状態で流動食を注入するという根拠はどこから導き出したのだろうか。不思議でならない。

私の感だが、この間の胃ろうからの注入はほとんど栄養になっていないと思われる。これも患者の特性を充分に把握せず、看護計画が作られている証と言って良いだろう。ナルちゃんはこの病院に12年間かかっているのだ、全くその経歴が生かされていない。

今まで、病院というものは、お任せしますからよろしくお願いします。と言うものだと思っていた我々にも甘さがあったと言わざるおえないが。付き添う親が気付いたことは進んで提言しなければならないことを痛感した。

我々はプロだからと言う医師も居られるが、良く振り返ってみて欲しい。プロだからこそ陥る罠というものを誰もがその道で経験しているはずである。そう言う私も経験している。素人は素人なりに、そのことだけに必死になっているのだ。その必死の思いには、プロでは見逃しがちな罠を見つけだす力があると言うことをおぼえて置いて欲しい。私もプロであるというプライドをうち砕かれた瞬間を味わっている。

プライドを捨てたとき、人は素直になれ、新しい境地を見いだすものである。プライドが頭を持ち上げたときその人の進歩はそこで止まってしまうだろう。