ハルちゃんとナルちゃんのおいたち


療育園

主治医からの薦めのまま何も分からず療育園へいくことになりました。そのころ私たちは大阪府に住んでいたので吹田にある済生会吹田病院の療育園へいくことになりました。公共の交通機関だけでは少し不便なところにあるので最初は車で出かけました。しかしこれもまた大変、駐車場がめちゃくちゃ狭い。 何とか留めていったが毎回これでは頭が痛い。

始めていくと最初は診察でした。どの程度の障害で、どの程度の訓練が必要かの見極めです、とりあえず週2〜3回通ってくださいとのこと。気安く言ってくれる。こちらはわらにもすがる思いなのに、相手にしてみれば慣れたもので、いつもの一患者でした。無駄な緊張をとるためと必要な力を養う両面から訓練が始まることになりました。ボイター法という訓練です。子供ができたら必ず通る1ヶ月や3ヶ月検診。あのとき逆さまに吊したり横向けに片手で持ち上げたり両手を持って起こしてみたりするボイター判定。あれの延長上にある訓練です。ドイツのボイター博士が考案した訓練法で幼少期には特に効果があるとされています。ほかにもいろいろ訓練法がありますが後で少し触れることにしようと思います。

担当の先生は優しく丁寧にみていただきました。今でも手紙のやりとりをしています。後で気がついたのですが先生の当たり外れは子供にとって重要です。無理をせず確実に着々と継続する。 我々夫婦がもっとも苦手な分野です。「女は弱し、されど母は強し」とはよく言ったものでこのときばかりは母親である妻に頭が下がる思いでした。

療育園に通うのに私たちの母に大変世話になりました。私の母と妻の母と交代で吹田まで付いてきてくれたのです。双方とも昔の人ですし障害児とは今まで無縁、我々でも最初は他人の目が気になりました。つれて歩くのが恥ずかしいと思ったことも正直ありました。そんな中2人の母たちは全くそんな素振りも見せず献身的につき合ってくれました。ある時春菜が訓練中に便意をもようし気張りだしたとき、おもむろにティッシュを持ってウンコを手づかみしてくれたそうです。後で笑い話になりましたがなかなかできることではありません。親はいつまでたっても親で 子供はいつまでたっても子供です。子を思う親心。子供を持って初めて知りました。感謝しています。

しばらく吹田の療育園通いがつづいたのですが、妻とどちらかの母と春菜ですから当然電車です。物音にも敏感だった春菜は緊張もしたでしょうし疲れたことでしょう。時々ゲホゲホ言い出しては嘔吐することもしばしば、気が休まらない日が続いたこととおもいます。

それでも少しでも良くなるようにとの想いから通い続けることができたのだと思います。素人目には効果のわかりにくいボイタ訓練。また距離的に遠すぎてただただ訓練だけに通う日々、保育を受けるわけでもなく・・・よく続いたと感心します。

2004年07月13日 14:07更新