一旦マーゲンチューブに頼ってしまうと、そこから抜け出すことが出来なくなるのではないかという不安がどうしても頭をよぎったのでした。また、嘔吐反射が強いのでチューブがその引き金にならないかという不安もあったのです。
マーゲンチューブから栄養をとりだしたナルちゃんは、見る見る元気になってきました。予想通りいくらかチューブが嘔吐反射の引き金になっている事は否めません。また、緊張の強い子に多い痰もより増えたような気がします。が、栄養摂取を第一に考えるとこの時点では最良の選択だったと思います。
]]>緊張が増幅するに連れて、また、緊張が増幅する機会が増えるという悪循環に陥ってきます。食事の時、食べることが大好きなナルちゃんは、食事の時間と分かると緊張します。食べ物がスプーンに乗って自分に近づいてくると食べようとして緊張が強くなり、開けようとしている口が緊張で開かなくなるのです。
強まる緊張の中、必死で口を開けるのですが、何とか開いた口にスプーンが入ってくる前に緊張の余り空を切って口は閉じてしまいます。思うように行かない苛立ちでますます緊張が強くなります。
なんとか口に食べ物が入っても、緊張が強いので咀嚼が上手くできません。口を強く閉じるため折角口に入った食べ物がこぼれてしまったり、飲み込むのにもまた緊張を伴います。
このようなことも含め、好きな音楽が鳴ったとき、好きな先生を見つけたとき、知らない人が近づいてきたときなどいろんな場面で緊張は増幅していきました。
そうこうしているうちに、口からの栄養だけでは体を維持できなくなってきました。そんな中でも、何とか口から食べられるようにとがんばりすぎて、かえってナルちゃんを辛い目に遭わせてしまいました。
今から思えばどう見ても栄養が足りていないのは歴然としていました。そのころナルちゃんは生命を維持するのにギリギリの状態だったようです。よく眠り、弱々しく力のない表情でゲッソリ痩せてしまったナルちゃんにすぐに気付いてやることが出来ませんでした。
]]>また、仰向けに寝かせると、両足の膝が左右に開きそのまま床に着いてしまったままの状態になります。どちらかというと低緊張の方が成長と主に伸展型に変化するため、いろいろと問題が多いとは聞いていましたが、やはりそれは徐々にやってきました。
寮育園から小学校に上がる頃に少し伸展型の緊張が出始めました。境目にある頃は余り気にならず、少し力が出てきたように見うけられます。寮育園ではうつ伏せで顔を持ち上げ手を前に出して遊ぶことが出来ましたし、椅子に座って机の上のオモチャなどに手を伸ばして遊ぶことが出来ていました。
咀嚼も大変上手に出来、ちゃんと唇で取り込んでいました。その後徐々に緊張が強まるに連れいろんな事が出来なくなってきます。
]]>それにしてもかなり高額な買い物になります。なかなか踏ん切りがつかずためらっていたのですが、ある日兄貴に話しかけてみると、友だちがキャンピングカーに乗っているので見せてもらえばと言ってくれました。それから話が進むのは早く、近くこちらへ遊びに来るとのことでした。
初めて見たモーターホームに正直ビックリしてしまいました。余りの大きさ。まさに家が動いている感じ。至れり尽くせりの装備の数々。車内のダイネットで所有者ご夫婦にいろいろお話しを聞かせて頂きました。所有者のご家族も最初は小さなキャンピングカーからはじめられたそうですが、やはりすぐに不満が出てくるそうで、何回かの買い換えでこのサイズに至ったとのこと。出来れば最初からこのくらいのサイズに乗ることを進められました。
ちょっと迷いが吹っ切れた感じで、いろいろ情報を漁りました。価格を見ては溜息が出るそんな毎日でしたが、そんなところへ見せて頂いたモーターホームのオーナーが、買い換えを考えているので譲っても良いというお話しを頂きました。
今我が家のものとなったモーターホームは、カナダ製で非常に高価なものです。それを半額以下で譲って頂くことになり話を決めました。最初は少し運転に気を使って疲れましたが、念願の子どもたちとの旅行が出来るようになりました。どんどんいろんなところへ家族揃って出かけたいと思っています。
]]>これが大変便利で、かれこれ10年以上使っています。養護学校へはじめていったとき、このポットの使い方を説明します。最初は戸惑うものの使い慣れてくるとなくては不安になるようです。いつの間にか先生たちの間で魔法の水と呼ばれるようになりました。
ある先生は、「何が入っているのですか」と聞かれましたが、普通の水でした。どこででも気軽に補給できます。
嘔吐反射で「ゲホゲホ」言い出したときタイミングを見て、このポットから水を与えます。見ようによっては非常に危険です。おう吐しているところへ水分を与えて縁下を促しているわけです。ほとんどの人は誤嚥するのではないかと気が気ではないでしょう。
タイミングを間違えるとよけいに嘔吐反射を増幅させてしまう危険もあります。子どもたちが嘔吐反射が強くて誤嚥しないから出来る事なのかもしれません。誰にでも合う方法ではありませんので、注意してください。真似をされて、思わぬ結果を招いても私には責任を負うことが出来ません。
]]>ハルちゃんは小さい頃からおう吐反射が強く、鼻注から注入したミルクを良く戻していました。ナルちゃんも自分のよだれで咽せたり、ゲップが出にくくて咽せたりしていました。何とか咽せ返るだけでおう吐までは行かないようにごまかす努力をしたのですが、過剰に押さえ込もうとすると苦しそうで可哀想です。
そんなとき少し水分を含ませてやると治まることが解りました。おう吐しそうになると水分を与えることによって、燕下の機会を与え相殺してしまうのでしょうか。
調子の悪い時にはこの嘔吐反射でご飯が食べられなくなります。調子の悪いときとは、寝冷えをしたとか、春先の花粉が多いときとか、何らかの原因で痰が絡みやすい時と言えるでしょうか。そんなときは、食事中全く気が抜けないほど「ゲホゲホ」と咽せ返っては食べたものを出してしまいます。これが長く続くと体重が減ってしまうほど悪循環を繰り返します。
これほど悪いことばかりの嘔吐反射ですが、この嘔吐反射があるから免れていると思われることもあります。それは誤嚥による肺炎です。脳性麻痺などで重複障害をもつ子どもは誤嚥することが多く、簡単に肺炎を起こします。当然、ハルちゃんとナルちゃんも誤嚥をずいぶん心配しましたが、今まで一度も誤嚥による肺炎になったことがありません。これは敏感すぎる嘔吐反射が幸いしているとしか思えません。
子どもたちは弱いなりに自分を守る術を持っているのだなぁと思いました。おう吐はしんどいし、時としてまともに食事が出来ないときもあるけれど、命を守るための術として弱いながらも生まれ持ってきた護身術だと考えています。
]]>『子供に[生きる力]と[ゆとり]を』をうたい文句に始まったこの制度、親のゆとりはどうしてくれるのでしょうか、重度重複障害をもって生まれてきた我が子を日々介護しているだけでも大変なのです。 学校へ行っている間だけが親にとってのゆとりの時間なのです。
かといって本当にゆとりに当てているわけではありません。子どもがいては出来ないこと、妻にとっては、たとえば日頃の買い物や、家事に追われます。 私にとってもつかの間の仕事に専念できる時間でもあるのです。
5日制の実体を見ても、実際に「ゆとり」や「生きる力」を身につけているのでしょうか、学校での勉強が足りない分塾に通ってみたり、休みと言っても家に閉じこもってテレビゲームではあまり意味がないように思えます。
実際に過当な受験勉強を減らそうと思うなら、実社会の学歴偏重主義を改革すべきです、特に官僚の学閥などは目に余るようですし、いっそのこと国立大学を廃学してしまえばもっと自由でゆとりのある社会が出来ることでしょう。
それを置き去りにして、初等教育から変えようと言っても出来ない相談だと思うのですが、いかがでしょうか。まさしく本末転倒ではないでしょうか。
週5日制がスタートしてから、地域で5日制の取り組みが始まりました。学校へ行けない分地域でカバーしようと言うことです。
片やゆとり、片や穴埋めです。この辺の事情はなかなか上までは届かないようですね。2002年には完全週5日制が実施されるようです。ますますゆとりのない時代が来ると懸念しています。
さて、実際の5日制はというと、予想通りゆとりなどと言っている暇はありません。そのほとんどは、保護者の努力の元に成り立っていると言っても過言ではありません。持ち回りで役員を決めて行政との折衝や場所の確保など奔走しているのが実態です。それでなくても障害児を抱えている保護者は普段から人並み以上の努力を重ねています。その上まだ努力目標が増えたのです。活動実態がないと補助金はカットされ、ますます運営がこんなんになってきます。ボランティアの方々も限界以上の働きをして頂いてます。
そんな中に有っても、我が家の場合それ以上の負担がかかります。二人の子どもを見ているのは二人の親ですし、二人の子どもは全面介護が必要となるとおいそれと5日制の取り組みに参加できるはずもありません。結局はほとんどの行事にも参加できず5日制の土曜日は在宅状態が続いています。
最初の方にも書きましたが、親のゆとりはどうしてくれるのでしょうか。
]]>このことは以前にも書きましたが春菜は1年生の時は1組でしたが、2年生になったらなんと4組になっていました。ずいぶん進歩したものだと喜んだものでした。ところが本人にとっては急激に環境が変わり、とまどいがあったようです。
そういえば小さい頃は少し場所が変わっただけで寝付けなかったり、泣いてばかりしていたものです。そんな春菜にとって親が思う以上に大変なストレスのようでした。
また、人になれるのにも時間がかかる春菜にとって一番の問題は担任の先生がすっかり替わってしまうことでした。食事の時にもかなりの注意が必要でした、ちょっとした刺激ですぐに戻してしまいます。一年生の時の先生も一年間かけてやっと春菜になれて貰ったのにその成果を生かせるクラス編成になっていないのです。食事の時だけは何とか一年生の時の先生が付いてくださいましたがそれ以外は春菜も先生もまた、1から出直しです。こんなことで子供の成長を助長して少しでも伸ばそうという体制になっているのかはなはだ疑問でした。
結局一年生の時と同じことの繰り返し。2学期頃からやっと慣れてきて春菜らしく過ごせるようになりました。毎年毎年一学期を無駄にしているようでは子供の成長など望めるはずがありません。このことはかなり重要にとらえていたので、先生方にも重々お話を聞いていただきましたが。3年生にあがるときも同じことになりました。2年生の時の先生は誰一人春菜には付いてきてくれませんでした。
子供の成長には節目というものがあるようで、特に障害のある子供にとってはその節目が顕著に現れるようです。小学3年生くらいにその節目が来るようでうまくいけば一気に成長する子供も少なくありません。また逆に一気に後退してしまう子供たちも同じく少なくありません。
この大事な時期に子供の成長を阻害するようなクラス編成を平気でする学校にははっきり言って不信感を覚えました。成美の時もまったく同じ。いったいなにを考えているのかとますます不信になりました。成美の場合は教室の雰囲気も本人にとっては大事な要素で、ほかのクラスにいくと緊張してなかなか本来の力がでません。ところが自分の教室に帰ると一気にリラックスして笑顔がでるほどです。また、お気に入りの先生がいて、その先生と一緒の時は安心できるのです。
ところがこれも成美が3年生にあがるときまったく放り出されるようにすっかり教室も先生もすべてががらりと変わる状況に放り込まれました。2年生の時の担任は学校側にかなり食い下がっていただいたようですが、それでもどうにもならなかったようです。学校へ行きだしてから徐々に緊張が出てきて今まで出来ていたことが出来なくなってきている成美のとっては試練の年だったことでしょう。
これは親にとっても大変な試練でした。せっかく一年かけて子供のことを覚えて貰ってやっと学校に行っている間は手を放れてくれるのに。新学期になるとしばらく子供について先生に覚えて貰うまで前年と同じ説明を繰り返すことになります。何という無駄でしょう。引継はちゃんとしておきましたといわれても細かいニュアンスまで伝わるはずがありません。何回も何回も同じことを聞かれる親の気持ちを考えたことがあるのでしょうか。
これ以上黙っているのは親として成美に申し訳なく3年生の時懇談会の席で思いの丈をぶちまけました。新しいクラスの担任の先生が謝ってくださいましたが先生を攻めているわけではありません。学校全体としていったいなにを第一に考えてクラス編成をしているのかということが一番言いたかったのです。僕は障害を持つ子供たちが通う養護学校なのだから当然子供の成長を第一に考えてクラス編成をしているものだと思っていたからです。
すべての人が思い通りのクラスになることは不可能でしょう。しかしそれなりの配慮は出来るはずです。特に環境や人になれるのが苦手な子供たちに急激な変化を余儀なくされるクラス編成はどう見てもおかしいと思うのです。成美は今4年生。3年生の時かなり強く希望を言ったので成美のことをよく知っている先生が付いてくださいました。しかし、5年生にあがるときがまた問題です。同じことが起きないように願うばかりです。今でも低学年の3年間成美の成長にとってかなり厳しい条件であったことは確かです。親として成美には申し訳ない気持ちでいっぱいです。そんな思いをする親御さんが一人でも減るような対応を望むばかりです。
]]>しかし、成美はお姉ちゃんに比べて身体がグニャグニャ、全く体幹が安定していなかったので学校での生活や訓練にはかなり不安でした。最初の頃は毎週決まった日にお休みをいただいて今まで通っていた療育園で訓練を受ける日々が続きました。現在の成美の状態で身体に負担を掛けると身体が歪んでくる(いわゆる側湾)可能性を持っていたからです。身体が一旦歪んでくると訓練では治りません。ボイター訓練ではこの辺にかなり敏感で常に注意をするように言われてました、実生活の姿勢の前に安定した換気(呼吸)、バランスの取れた発達(歪みの防止)が最優先でした。このころの成美にはそちらの方が大事だと判断したからです。
成美も1組でした。このころの成美は食事が上手でこれでもかと言うほど食べる日もあったようです。徐々に学校に慣れてきて学校へ行った日の方がはつらつとしていることが多くなりました。これも成美に合わせてゆったりと過ごせるように気を付けてくださった先生方のおかげと感謝しています。
一学期は本当にゆっくりしたペース親の怠慢で早起きができなくなった成美が学校になじむのには時間がかかりました。春菜の時もそうでしたが一学期間かけてゆっくり慣らしてもらいました。ナルちゃんもお姉ちゃんの仲間入り、比べるわけではないけれど心配事がいっぱい。初めての環境に馴染むのには時間がかかるナルちゃん。じっと様子を見ながら難しい顔をしています。いったん気を許してくれるまでが勝負。むかしは僕にさえなかなか気を許してくれず僕の顔を見るだけで「ゲーッ」っとなって、時には本当に戻してしまうこともあったくらいです(^^;;
]]>我が家の子供達は、今までボイター訓練を受けてきました。これは、そもそも持っている反射を利用して身体の動きを良い方へ導くという訓練で或る姿勢を保ったりツボを刺激して反応を待つというもので短い期間では効果が見えにくい訓練ですがバランスの取れた体の発達を第一に考えた訓練です。一見子供を無理に押さえつけているように見えます、その押さえつけに抵抗する事で正常な動きを出すというものなのですが、人によっては辛いだけでかわいそうと言う人もおられます。
先にも書きましたがもう一つ代表的なボバースという訓練法があります。こちらは実際の生活に合わせ、生活に必要な動きや姿勢を体験させ少しでも早く実生活に馴染むようにしようという訓練です。その分バランスの取れた身体の成長を少なからず犠牲にする可能性を秘めていることがあると言う人もおられます。
親としてはどちらをとるべきか悩んでしまいます。自分で座ることもできず体幹も不安定な状態で果たしてボバースに耐えられるのか。また、ボイターだけでは実生活に入る準備が遅れてしまわないか。など、悩みは付きません。
学校の訓練は素人目から見る限りではボバースに近く見えます。ボイターについては療育園では主流ですが就学児童にはボバースというのが通念となっているようでした。正確に言うと学校の訓練はボバースでもなく独自の発展をしてきているようです。これは或る小児科の先生に聞いた話ですが、学校は建前上教育機関で訓練施設ではないから、学校生活に必要な訓練をしているのであって、個体差に合わせていろいろな訓練を取り入れるのは難しいだろうということ。また、それぞれの専門家を配置するのにも教育機関という制度上の問題があるようでした。
ここでも、個体差に合わせた最善の方法を選択することはできませんでした。制度の中で担当の先生が最善の方法を選択してくださっています。このあたりの訓練のことで悩んでいる親御さんが大勢おられます。週に数回学校を休んで訓練に通っている方もおられます。情報も氾濫していてどうしたらよいか悩んでいるものに適切な判断が出きる情報を提供し選択できる制度ができないものかと常に考えます。
制度の問題や派閥の問題などまだまだ問題点は多いようです。制度自体が合わなければ制度を変えるという逆転の発想はなかなかできないようです。制度の中で悩んでいるのは親御さんや障害のある子供達だけではなく、先生方も同じでしょう。
制度(法律)には必ず抜け道があるはずです。「校長が認めた場合はこの限りにあらず」とか「教育長が認めた場合はこの限りでない」など。このあたりを適切に解釈して取り入れていけば実現できる事はかなり有るはずと思っているのは私だけでしょうか。このあたりの解釈の違いが同じ地域にあっても障害児の受け入れ態勢の違いに出てくる気がします。
]]>向日が丘養護学校では障害の程度によってクラス分けされています。重度な子供ほど若いクラス。 どのクラスになるのだろうと思いを巡らせていました。
その当時大阪府に籍を置いていた私たちは春菜を京都の学校へ入れるために引っ越ししなければなりません。就学が決定する前には住所が変わっていないと受け付けてはもらえません。がしかし、妹の成美は大阪府の療育園へ通うことになります。いったいどうなるのだろうと思っていたのですが案外道は開けるものです。
学校に通うには当然学校教育法がからんできます。各自治体にその運営は任されているのでその自治体に住んでいるのが条件ですが、療育園は児童福祉法の管轄で住所がどこにあっても実際にその自治体に住んでいる児童は療育の対象となると言うわけです。つまり両方の条件を満たすためには、戸籍上の住所は京都府に、実際の住まいは大阪府という何とも不思議な環境に置かれることになりました。
その当時我が町、大山崎町の教育委員会で就学担当されていたのは僕が小学校の時の教頭でした。また、教育長が僕が小学校から中学校に掛けての校長でした、そして実際に手続きをしていただいたのが幼なじみ。(超ローカル)そんな事が影響したかどうか分かりませんが、大変親切にしていただき就学決定のぎりぎりまで猶予をいただいて春菜が就学する年の1月に籍を移しました。
そんなこんなでなんとか就学にこぎ着けた春菜です。クラスは1組でした。療育園の先生にそのことを伝えると「えーっ! 春ちゃん 1くみ? ちょっとショック!」っと言っておられました。
春菜が入学する前の年、向日が丘では2人のお子さんが亡くなられたそうです。しかもかなり重度なお子さんだったようです。そんなこともあって学校側もかなり慎重になっていたようです。また、突如入学の決まったお子さんがおられて急遽クラス編成を余儀なくされ 検討の結果まるでところてんでも押し出すように春菜が1組の押し出されたのでした。本来なら2組だったようですが、学校側曰わく徐々に様子を見て行こうというのが第一の理由で1組になったようです。
この当時我が子の障害の程度に敏感だった親にとってなんだか納得のいかない話し、やりきれない思いがあったのも事実です。でも、後々考えると春菜にとってはちょうど良かったかもしれません。そしてこのクラスになってすばらしい出会いがありました。産休でお休みの先生に代わってきておられた講師の先生。今でもお付き合いいただいています。
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